塩原家住宅(塩原蚕種)
 明治から昭和にかけて中毛地区の蚕種製造を主導した、蚕種製造住宅「塩原家住宅」は大正元年(1912)に建てられた。木造3階建てで、間口は約29.4m(16間)、奥行き約13.1m(7間)、軒高約9.4m(5間)(最高高さは14.3m)という壮大な建物である。この規模は世界遺産の田島弥平旧宅を初めとする伊勢崎市境島村の大型蚕種製造民家の規模を上回り、県内の繭製造民家を含めた養蚕農家において最大級といえる。屋根は入母屋造桟瓦葺で、屋根大棟にはほぼ全体に換気装置としての「櫓」を載せ、1階北側には「下屋」が設けられている。この住宅の特徴は、1階に居住部分を集約し、2階3階を養蚕、蚕種製造に特化したもので、1階には日常生活空間の他に、接客空間を設け、そこには贅を尽くした材料や意匠が取り入れられている。2階3階は南面、北面ともに大きな開口が採れると共に、間仕切りなどを用いて、蚕種の交雑の防止や雌雄別々の羽化などに対応できるような配慮がされている。
 塩原家の蚕種製造は、初代の塩原佐平氏が明治12年(1879)に村内の有志30余名と共同稚蚕(1〜2齢の蚕で飼育が難しい)飼育所を設立した。明治14年(1881)に養蚕飼育試験場と改称、蚕種製造者の養成を目的とし、蚕種の元となる蚕(原蚕)を飼育した。試行錯誤の末、明治20年(1887)頃に蚕品種「塩原亦(佐平又ともいう)」の製出に成功した。
 塩原亦の繭は小粒で糸は短いが、飼育が容易で繭のほぐれ具合もよく、養蚕家、製糸家の両方から歓迎され、当時の碓氷社で高い評価得て全国的に有名となり、東北から九州まで各地で飼育されたが、業界の低迷を受け休業を余儀なくされ、残念ながら平成8年(1996)に廃業された。

 令和元年10月18日に国の文化審議会は、同住宅を国重要文化財に指定するよう、文部科学相に答申し、令和元年12月27日に国の重要文化財に指定された。
 広報まえばし 令和2年2月15日号 
 塩原家住宅について(前橋市ホームページ)
 塩原家住宅パンフレット

注:個人住宅のため一般公開はされていませんので、敷地内に入らぬよう願います。

創業者の「塩原佐平」氏については、「2.(7)製糸の都市前橋を築いた人々」をご覧ください。