弁天池(市杵島神社(厳島神社)跡)

 明治6年の地籍図では寶林寺所有となっていおり、明治9年の地引帳に天神窪七百拾四番市杵島神社境内(二四坪)の記載がある。祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)で神仏習合時代には仏教の女神の弁才天(※)と習合して同一視されていた。ご利益は、安産祈願、子宝祈願、金運上昇、芸能などである。
 また、この池は昔から天神窪地区の住民により大切に守られてきた。3月最後の日曜日に住民総出(各戸1人)で、池替えといって池の水を全部汲みだして、池の清掃を行ってきた。近年は有志の人たちによって池の周りの草刈りを行っている。

(※)弁財天:財産の神としての側面が信仰され、弁財天と書かれるようになり、また、七福神の一つとされた。水辺に祀られることが多く、また、水と関係あるヘビと結び付けられることも多い。

明治10年 市杵島神社地図
現在とほぼ同じ形をしている。