経 塚 跡

 南橘村の耕地名や水帳に、古くから「京塚」または「経塚」という地名があり、古墳の一種として誤って伝えられていた例もある。橘神社から一段下がった塩原家の宅地内に樹齢百年におよぶ枝垂れ桜があって、この木の根もと付近の耕土の中から鶏卵大の青石に墨で書いた経文石が昭和30年(1955)ごろ数多く発見されたが、当時子供のおもちゃとして散逸してしまった。
 言い伝えによると、昔この一隅に「経塚」があり、多くの経文石が埋められていたが、不浄の肥料や土足によって汚されるのを恐れて枝垂れ桜を植えられたといわれている。(現在は伐採され存在しない。)
 また、田尻にも経塚が存在すると伝えられているが明らかではない。