塩 原 塚 古 墳
 この古墳は、田口郵便局から130mほど南下、国道291号線から東へ少し入った所にある。旧利根川の左岸の台地の端に位置し、西に急に低く、南はゆるい傾斜をなしていて、東と北はともに平坦な台地である。
 昭和10年(1935)の県下一斉調査にもれ、名称もない一小古墳であった。しかし、角閃石(かくせんせき)安山岩削石(けずりいし)積みの完全な横穴式石室を有しており、土地所有者の名を取って塩原塚と名づけられた。
 墳丘は、高さ約3m、北側で2m60cmである。径は14m、ただし葺石の根石の描く円周によった。葺石は、傾斜面のみにあって頂上は平坦である。埴輪は見当たらなく、せん道入り口部から高つき、北側の葺石の上から大かめの破片が出土した。葬祭に用いたものと推定される。
 石室は、横穴式両袖型である。せん道、玄室のみで玄門はない。壁は榛名山二ツ岳噴出の角閃石安山岩(軽石)の削石および截石(きりいし)で積まれている。削石は五目積みに、截石は切組積みにされているものが多い。床は土をたたいて中央を高くかまぼこなりにし、その上に河原石を敷き、砂利がおかれている。
 出土品は直刀が左右壁下から一振りずつ、馬具が玄室入り口近く、その他は骨や歯と混在していた。玉類は一個も見出されず、歯及び耳環から埋葬遺体は7〜8体と推定でき、副葬品はおそらく最初の埋葬時に納められ、ほかの埋葬者にはほとんど伴わなかったと思われ、以上のことから、この古墳は7世紀に築造され、およそ30年使われたと考えられている。
 また、この古墳には戦争の時に防空壕が掘られていたようだが、現在では石室に土のう土のうをつめて保存されている。


 
 桃川小学校かるた        絵・中川 隆