白法山清和院政淳寺
(はくほうざんせいわいんしょうじゅんじ)
 浄土真宗大谷派に属する寺で、江戸時代、利根川の洪水により城近くから、榎町(千代田町四丁目、旧ニチイのところ)に移り、さらに昭和46年(1971)暮れに現在地に移り48年(1973)に完成したものである。空襲で古いものは焼けてしまったが、七高僧御掛図・親鸞上人御掛図・過去帳の一部が残っている。本尊は阿弥陀如来である。
 墓地には萩原朔太郎の墓があり、全国から訪ねてくる人も多い。他にも高桑闌更(たかくわ らんこう・芭蕉堂)の句碑があずまやの近くにあり、相葉有流の書になる「枯れ芦の日に日に折(れ)て流れけり」が見られる。

 次に掲げる萩原朔太郎の詩、「広瀬川」は大正14年(1925)に出版された詩集「純情小曲集」の中に、「郷土望景詩」の一つとして収められている。

  広 瀬 川
広瀬川白く流れたり
時さればみな幻想は消えゆかん。
われの生涯(らいふ)を釣らんとして
過去の日川辺に糸をたれしが
ああかの幸福は遠きにすぎさり
ちひさき魚は眼(め)にもとまらず。

○萩原朔太郎(1886〜1942)前橋に生まれた詩人。
「月に吠える」「青猫」などの詩集がある。
○高桑闌更(1726〜1798)金沢の商家に生まれた天明中興の俳人。
 
 桃川小学校かるた       絵・田子佳恵