田口菜の由来について
※この文書は田口町自治会の古い書類の中にあったもので、原文のまま記したが、書かれた経緯や執筆者、時期等不明です。

 『先祖や先輩により語り継がれた話や自分の栽培体験をまとめてみました。
 この菜は昔から芝田正一さん宅の入口にある大きな柿の木(直径70cm高さ10m以上)の下が原生地といわれている蕪系の青菜で、油菜や越後菜より少し早生で、この菜の芯が摘めて春を感じる貴重な菜であった。
 現在ではホウレンソウその他の菜類が年間を通じて栽培されているので厳冬期の緑黄色野菜の貴重さが感じられないが、この菜は戦前田口を中心にして赤城西麓一帯で作られていたが、戦後は他に優秀な菜類が出回り、今では地元で少々栽培している程度です。
 近年町内の有志の方により大正用水、法華沢その他の場所(土堤)に観賞用として作られ、春先には黄色の花が一面に咲きほこり、見事な景観を演じて田口の花として環境美化に大いに役立っています。
 この菜は、色は淡緑色でクセの無い淡白な風味でソバ、ウドン、餅の副物として最適であるが、栽培適地が限られる。最適地は、北風があたらず通風がよく日当たりもよい地形で、腐植が多く適湿の土壌など最良の条件が整っていなければ良質のものは得られないのです。
 国道17号より西部地区は旧利根川の河川敷(一部を除いて)であるため田口菜作りには不適で、いくら努力しても肥料を入れても質が硬く独特の風味がありません。
 栽培方法は、10月10日〜15日頃に播種、耕運前に堆肥、木炭、石灰、米糠等を施用し、深耕する。腐った人糞を良く使用する。肥溜の効果は肥料成分だけでなく、凍結、乾燥の防止に効果が多い。12月になり寒気が来る前に竹(孟宗竹が良い)のサゝ枝で被覆する。良質の葉、また太い芯にするために大事な作業である。11月初旬に適当に間引きをすることも大切です。
 料理方法は、新鮮を損なわないようにできる限り手早く作業をすることが大切。まず、釜に湯を沸かしておいてから菜の芯を摘んできて熱湯に短時間(通すだけ)浸す。柔らかすぎず色が変わらないように注意する。次にショーギに上げてウチワで急ぎ冷やす。大事なことは一般の菜のゆで方と違って冷水に入れずに冷やすこと。
 次は、田口の古老から伝えられた語りを記す。
 原産地の芝田正一さんの祖父惣吉さんは、明治の聖農といわれた原之郷の船津傳次平翁家と親交あり翁に大変可愛がられた。翁は産学一体の新しい教育による新しい農業の普及に努めた偉人で、このことが知事揖取素彦及び元勲大久保利通に知られ、直接求められて駒場農学校(東大)に務め、全国に新しい農業を20ヶ年にわたり巡回指導をした偉人であった。あるとき翁が大久保候を通じて田口菜を明治天皇に献上したところ、「この菜は大変美味しい。」とのお言葉があったとのことです。それまで無名の菜であったが、それを機に田口菜と名付けられたといわれています。
 また、前橋北部の剣道の指導者で金子種苗店の創始者である上細井町の金子才十郎氏は、田口菜の栽培普及に種子販売を通じて貢献された方です。以前は田口町内だけで栽培されていたが、氏のお陰で前橋北部一帯で栽培されるようになり、町内では採種も行われ相当量の種子も生産され、蚕種とともに田口の名声を高めたものです。
 田口には特色ある種々の文化が育ち、伝えられて田口らしい風土や人情が生まれてきましたが、これからも新しいものと調和させながら、守り伝えてゆきたいものです。』

※中央の写真は、南橘地区地域づくり推進協議会(花・緑いっぱい部会)の
「田口菜 菜の花プロジェクト」の畑
※ショーギ:竹で編んだ水切り用の厨房用具(写真右)