お社宮司様(おしゃぐっちゃま) |
橘山のふもと、字諏訪に自然石が鎮座している。それが明治時代の神社合併のときに橘神社に合わせ祀られた通称「お社宮司様」の旧地である。 今ではほとんどお参りする人の姿は見られなくなった。その昔、前橋藩の侍に閑野庄兵衛という人が橘山のふもとに住んでいて、その鬼門除けとして建てられたのがこの社だといわれている。祭神は尺綱(測量用の長い綱)であったが、里の人たちからは、いつしか御神体は長虫、すなわち蛇であるといわれるようになった。蛇は、よくネズミを捕るところから、養蚕のネズミ除けの守り神として利益があるといわれ、お参りの折にはネズミ除けに二個の利根石を境内から借り、その際に生体(蛇の姿)で願いたいと祈願して急いで帰り、借りた利根石を打ち鳴らすと、不思議にも必ず巨大な青大将が姿を現して、蚕の棚をはいまわったり、梁(はり)の上を這ったりして、猫の入れないような穴に入ってねずみをとり、蚕が繭になるまで守ってくれたそうである。しかも、その蛇はどれも尾の末端が切れた、通称「神様蛇」であったといわれている。 なお、祈願の際に生体でなく願いたいと頼めば、絶対に姿を現さないで蚕をねずみの害から守ってくれたという。そのお礼には、利根石を倍の四個にして奉納する習わしであった。御神木はけやきの巨木で、その洞穴にたくさんの蛇が棲んでいた。明治の神社合併後、その神木を切ることになり、オノを入れると血を吹き出したので、恐れて伐採を中止したが、オノをふるったきこりは、まもなく原因不明の病気にかかり、ついには死んでしまったと云う。 また、一説によれば子供の病気、はしか等が軽く済むようにと祈願する習わしもあったと云う。 |
合祀後に橘神社に祀られている「お社宮司様」 |
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指上申堂宮寺院御書上之事(部分) |
寛延2年(1749)に田口村の全ての堂宮寺院を書き上げた書状の中に「志やくし宮 閑野庄兵衛」の名前がある。 公式文書(神社明細帳)では石神社となっている。(祭神は岐神) ※岐神(クナドのかみ)は、古来より牛馬守護の神、豊穣の神としてはもとより、禊、魔除け、厄除け、道中安全の神として信仰されている。 |