広 桃 両 堰 見 張 小 屋 跡


 江戸時代に前橋領、伊勢崎領地域の田地開拓を目的に、桃ノ木川と広瀬川用水整備が進められ、その状況を監視するための見張り小屋(詰所)で、現在風に言えば、利根川からの分水(取り入れ口)堰や水害状況、改修工事の状況等を管理・監督する役人の詰所と思われる。
 明治4年(1871)の橘山絵図の中に御用宅とあるが、おそらく役人の詰所であった所と考えられる。西隣に神社があり福森と記されている。(福守様)
 江戸時代の橘山は、前橋藩の所領であり、松の木がたくさん生えていたので、毎年前橋藩の侍が門松用の松を採りに来ていたと云う。