郷 倉 跡
 郷倉(蔵)というのは、江戸時代に造られたもので、今でいう倉庫のような役割をしたものである。
 郷倉を造った目的は、年貢米を一旦ここに入れて置くためで、したがってそれぞれの村に造られたものである。年貢米は郷倉に入れ、その後、領主の指定する場所へ運ばれた。
この他に郷倉にはもう一つの役割がある。郷倉がつくられたころは、飢饉がたびたびあり、この飢饉に備えて穀物(籾や麦など)を貯えておく必要があったのである。
 飢饉の時には、郷倉にある籾や麦を分けていた。しかし、それだけでは不足して、藩からの救済米を受けることも多かったと思われる。そこで、天保13年(1842)の改革では、麦を貯えるのではなく、その麦の代金を納めるようになったという。

 南橘村には多くの郷倉がつくられていた。田口の郷倉は、片石山の北東沼田街道沿いに造られていたが、今は建物は残っていない。
 今、残されている郷倉は上泉町にある「上泉郷倉」で、これは、県指定史跡として保存されている。

地籍図(明治6年)片石山付近