片石山(愛宕神社跡)と岩神の飛石

 
 片石山は、田口町の西北、県営住宅団地南東の所にある。この小高い山(167m)は、西側が絶壁となり奇峰として知られているが、次のような話が伝えられている。
 「山には天狗が住んでいて、頂上には相撲場というところがあり、いつもきれいに掃き清められていて、ちり一つ散っていなかったそうで、例え木の葉が散っても、たちまち一方に吹き寄せられてしまうと云う。こうした清浄な山なので血の穢れのある者は、山へ登ることができないといわれ、もし気づかずに登るとたちまち天狗の怒りに触れて崖下の利根川に投げ込まれると云われている。」
 もう一つは、「昔、幾日となく大雨が続き、利根川の大洪水によって、山の北側の岩が落ち込み、流れ流れて岩神にとどまった。これが今の岩神の飛石だと云い、残った山が片欠け山で、これが転訛して片石山と呼ぶようになったと云う。この岩を後に、村人が依頼した石工が彫刻しようとすると、岩から血が流れ鳴き声が聞こえてきたので、恐ろしさのあまり村人たちは生石(いきいし)といい、岩神神社と崇(あが)めて、地名も岩神村と称するようになったと云う。」
 山頂付近には、「心あてに見れども見えずとね河のながれの末はうすかすみつつ」と刻まれた、藤原(狩野)利房の歌碑(写真上)がある。(明治18年建立)
 また、山頂には愛宕神社(祭神は、迦具土命。境内144坪。境内末社:琴平神社(大物主命)、石尊神社(日本武尊)、菅原神社(菅原道真)、大山祀神社(大山祀命))があって、神社の由来は不明であるが明治40年3月に橘神社に合祀され、山頂への石段(絵図参照)も橘神社参道へ移設された。
 明治時代には山の南に洞穴があり、そこで賭博が開帳され警察の追求や捕縄の様子が見られたと云う。


※狩野利房は、渋川の人で幕末から明治の神官・歌人

※「岩神の飛石」については、近年理化学的な調査が行われて、浅間山が24,300年前の噴火で黒斑山(くろふやま:浅間山の外輪山)から流出したものであることが判明したとのことである。(写真下)なお、町内には小池実氏宅と下田利明氏宅に同質の岩がある。





 

  桃川小学校かるた          絵・瀬下拓志