うーちゃん(浦十郎)簗跡

 昭和29年(1954)日本カーリット発電所完成により、広桃両川の水路が変わり、同発電所の工事開始直後に廃業した。
 なお、簗の管理人が塩原浦十郎という人で、その人の愛称「うーちゃん」と呼んでいたのでその名が付いたと云われている。
 川筋から見て江戸時代後期と思われる絵図(下)には桃ノ木川に2か所広瀬川筋に2か所、計4か所の簗がある。江戸時代に簗を仕掛けるには藩の許可が必要であった。文化10年(1813)桃ノ木川岩下に文政13年(1830)に広瀬川筋字代官堀に新簗掛け願いが出されている。

 
 文政13年に出された新簗掛願
 広瀬川筋字代官堀新簗掛願  

  文政十三年七月

    川通田口村
      願人 政蔵
     長百姓 萬右衛門
      与頭 半次郎、万兵衛
      名主 権右衛門

    新沼扇三 殿
    内田鉄蔵 殿