田口の俳人
 上毛古俳家全集(昭和25年上毛古俳人研究会)の中に3人の名前があった。
(1) 砂川川遊
 田口の農家に生まれた人、通称を勝五郎といい、字を元重と称した。性格すこぶる淡泊、夙に俳諧を好み、専ら諸風土と交わり郷人の慕うべき真の風土であった。明治18年(1885)5月没、享年68歳。
 眼さましに朝の水鶏は叩きけり
 膝の子にものいふて先笑ひ初
 霞から鳥ないて出る山路哉

(2) 塩原旭光
 通称探次郎、農業を営み俳諧は天野桑古(あまのそうこ)(※1)に師事し橘南居と号した。性格短気なれども情誼に厚く物の理解力に富んでいた。好んで菊をよく作り楽しんだ。昭和11年(1936)1月没、享年78歳。
 梅くゝり柳くゝりで鐘かすむ
 茶の花や水も色めく吉野川
 コスモスの花一つ咲き二つさき

(3) 岩崎安之
 代々農業にして通称を紋二郎といい、若年の頃より俳諧を橘山居(桑古)に学びその上達師を凌ぐの感があった。号を東岳庵と称して専ら俳諧の研究に努めた。また、日清、日露の両戦役に従軍して勲八等功七級(※2)の名誉を授かった。昭和11年1月没、享年63歳。
 初春を思へは早き上日かな
 水鳥や月にさはらぬ宵の雨
 三夫婦の膳立すみし粽(ちまき)かな

(※1)天野桑古:日輪寺の人、文政11年(1828)〜明治30年(1897)(享年70歳)。高崎の志倉西馬の門人で全国各地に赴き橘田春湖、鳥越等裁や三森幹雄らと交流を深め、ことに新井乙瓢とは親交を深めた。明治初期には学校を興し郷人の教育に務めた。著書に「桑の実」「すぐり藁(わら)」「三十六家撰」などがある。
(※2)功七級金鵄(きんし)勲章(写真右):明治23年(1890)に創設され、武功のあった軍人に与えられていたが、昭和22年(1947)に廃止となった。南橘村郷土誌によれば、明治42年(1909)現在、金鵄勲章年金受領者は村内に10人いた。