御帰城願書
 前橋城は利根川の氾濫・浸食による被害が拡大したため、宝暦13年(1763)に幕府の実地見分を経て、明和4年(1767)武蔵川越城に居城を移転、以降を川越藩と呼び前橋は川越藩の飛び地となった。前橋城はその翌年には取り壊しの命令が出され廃城となり、以降長く廃城の状態が続き、跡地に川越藩の分領として前橋陣屋が置かれ、その支配を1世紀の間受けていた。
 この間も前橋への帰城の試みは行われ、文化14年(1817)には前橋領民(内、田口村60人)から帰城を求める嘆願書が提出された。
 3度にわたる前橋城再築内願書を幕府に提出した川越藩主松平直克に、文久3年(1863)に前橋城再築と帰城が許され、慶応3年(1867)に前橋城再築、帰城となった。


 写真は御帰城願書(田口町自治会文書)
 群馬県立文書館に寄託所蔵。(非公開)
 村民60人の署名押印がある。