赤十字社員と愛国婦人会員
 南橘村郷土誌によれば、赤十字社員は南橘村では合計206名(内、田口村38名)であり、愛国婦人会員は合計163名(内、田口村28名)で、いずれも南橘村の中では一番多かった。(明治42年(1909)12月末現在)
 赤十字社はスイス出身のアンリ・デュナンの提案により1863年に発足した。日本においては明治10年(1877)の西南戦争のさなかに設立された「博愛社」という救護団体が前身で、日本政府のジュネーブ条約加入の翌年明治20年(1887)に日本赤十字社に改称、世界で19番目の赤十字社として正式に認められた。創立者(初代社長)は佐野常民で西南戦争の悲惨な状況に対し、傷病兵の救護の必要性を痛感し博愛社の設立を決意した。
 愛国婦人会は佐賀県出身の社会運動家、婦人運動家の奥村五百子(いおこ)が明治33年(1900)に起きた北清事変に際し、慰問使の一員として戦場に赴き兵士の惨苦と忠勇を見て創設を決心した。明治34年創立。当初は戦没将士の遺族及び廃兵の救護を目的としたが、その後関東大震災後の救護活動、婦人職業紹介、花嫁紹介など幅広い活動を行った。昭和17年(1942)に解散となった。

(上の写真左:赤十字社員章  写真右:愛国婦人会員章)