目明し源治(田口の銭形平次)
 塩原成一郎家に伝わる文書総数110点の中に、目明し源治(文書の中では源治郎、源治、塩原源治良などと表現されている)に関する文書がある。時代は寛政11年(1799)から文政2年(1819)までの21年間である。次に、文書に出てくる旧村は田口村のほか前橋本町、不動堂村、上八ア村、横室村、山口村、荒牧村、関根村、総社町など広い地域にわたっている。文書の内容は、(1)犯罪等の容疑者当人と村役人(または親類、証人、立会人等)連名による内済(表ざたにしないで処理すること)請合証文、(2)郡代役所への取扱いについての上申、(3)当人等が目明し源治に罪状を申し述べたものなどである。どの様な事件内容かというと、盗み、不斗出(ふとで:正式な手続きをせず村から行方不明になること)、酒酔いの不埒、馴合い欠落、出入り、手疵、娘の不義、無断持出しなど様々な案件が出てくる。
 差上申口書之事
 文化9年(1812)3月5日、沼上無宿源蔵が仲間4人と土蔵から蛹壱本夜着壱つ盗み取りそれを仲間のひとり倉賀野無宿安五郎に預け置いたという一件を、源蔵自身が目明し十平次と源治にありのままに申し上げたというもので、田口村酒屋へ立ち寄るとあるが、ここは田口の信号コインランドリー辺りと思われる。
 目明しとは、奉行所の役人(与力、同心)などが、個人的に雇った非公認の協力者、岡っ引き、ご存じ銭形平次は目明しの親分である。

(参考文献:県立文書館、文書館だより「文書にみる目明し源治郎」)